大判例

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東京高等裁判所 平成元年(行ケ)37号 判決

原告 日魯漁業株式会社

右代表者代表取締役 佐々木醇三

右訴訟代理人弁護士 大津洋夫

被告 日本ヒルトン株式会社

右代表者代表取締役 小原隆吉

右訴訟代理人弁護士 山崎行造

同 生田哲郎

同 伊藤嘉奈子

同 岩元隆

同 窪木登志子

同 松波明博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

「特許庁が昭和五九年審判第一五五二五号事件について昭和六三年一二月八日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

二  被告

主文同旨の判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、別紙のとおり、「ヒルトン」の片仮名文字と「HILTON」の欧文字を二段に横書きして成り、指定商品を第三三類「穀物、豆、粉類、飼料、種子類、その他の植物および動物で他の類に属しないもの」とする登録第一五〇七二二八号商標(昭和四八年六月一九日登録出願、昭和五七年三月三一日設定登録。以下「本件商標」という。)の商標権者であるが、被告は、昭和五九年八月九日、原告を被請求人として本件商標の登録無効の審判を請求し、昭和五九年審判第一五五二五号事件として審理された結果、昭和六三年一二月八日、「登録第一五〇七二二八号商標の登録を無効とする。」との審決があり、その謄本は平成元年一月一八日原告に送達された。

二  審決の理由の要点

1  本件商標の構成、指定商品、登録出願の日及び設定登録の日は前項記載のとおりである。

2  請求人(被告)の提出に係る各書証を総合勘案するに、アメリカ合衆国ニューヨーク州パークアベニュー三〇一番ウォルドーフ・アストリア所在「ヒルトン・インターナショナル・カンパニー」は、数多くのホテルを世界各地に展開している世界的ホテル企業として屈指の存在であり、商号中の「ヒルトン」の名は、同社さらには、請求人を含む系列諸会社(我が国における東京ヒルトンホテルを含む。)の略称として、本件商標の登録出願時(以下「本件出願時」という。)には、既に著名なものであったことが認められる。

3  したがって、本件商標は、商標法第四条第一項第八号の規定に違反して登録されたものであるから、同法第四六条第一項第一号の規定により、その登録を無効にすべきものと認める。

三  審決の取消事由

審決は、本件商標の無効審判請求をする適格を欠く者に対してなされたものであり、かつ、「ヒルトン」が商標法第四条第一項第八号に規定する「他人の名称の著名な略称」に該当するとした審決の認定、判断は誤りであるから、違法として取り消されるべきである。

1  無効審判を請求するに当たっては、審判請求をする資格、すなわち、請求適格として、正当な利害関係が存在しなければならない。

しかるに、被告は、本件出願後の昭和五六年八月一日に設立された法人であって、しかも、被告が経営主体として肩書住所地において営業している東京ヒルトンホテルは、本件商標が設定登録された後の昭和五九年九月一日に開業されたものである。

このように、出願後に設立された会社が設定登録後に開業し使用を開始した営業商識を根拠に、他人の名称の著名な略称であることを理由として無効審判を請求するのは、審判請求について法律上正当な利益を有するものとはいえない。

本件出願時に東京都千代田区永田町二丁目一〇番三号において、東京ヒルトンホテルを営業していたのは、被告とは別会社の訴外日本ヒルトン株式会社であって、同社は、昭和五九年四月二八日株主総会の決議により解散し、同年五月九日その旨登記され、同年一一月一五日清算結了により消滅している。

2  被告は、本件出願時には存在しておらず、東京ヒルトンホテルを開業していないことは、前記1のとおりである。

しかるに、審決が「ヒルトンの名は、(中略)請求人を含む系列諸会社(我が国における東京ヒルトンホテルを含む)の略称として、本件出願時には、既に著名なものであった」と判断したのは、既に解散消滅した被告と同じ名称の別会社を被告と錯誤したもので商標法第四条第三項の規定に違反する違法な判断である。

また、訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニー(アメリカ合衆国ニューヨーク州パークアベニュー三〇一番ウォルドーフ・アストリア所在)は、一九六二年二月、訴外ヒルトン・ホテルズ・コーポレーション(アメリカ合衆国シカゴ・サウスミシガン・アベニュ七二〇)から売却され、訴外TWA(航空会社)の子会社になっており、本件出願当時、訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーと訴外ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションとは異なる経営系列の会社になっており、両者間に主体の同一性はないから、「ヒルトン」と略して呼んだ場合、一般世人は必ずしも審決のように訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーと同社の系列(ホテル)諸会社の略称と認識するとは限らない。

また、ヒルトンは本来欧米人の氏に相当する名前であって、同じ名前の人が数多く存在する。さらに、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル九八一〇九には、訴外ヒルトン・シーフーズ・カンパニー・インコーポレーションがあり、「HILTON,S」の商標で、日本との間でも食品の貿易業務を行っている。

このように、「ヒルトン」という言葉は、特定できない複数の人の名称として使用されているから、常に世人が訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーと同社の系列(ホテル)諸会社の略称と特定して認識するとの審決の判断は誤りである。また、審決の右判断は、他人を明確にすることなく、「系列(ホテル)諸会社の略称と認識する」と抽象的に他人を認定した点においても誤りである。

また、審決において、判断の対象になった各証拠中の大部分(審判手続における甲第四号証ないし第一〇号証)は、解散した別会社の業務状況を示すもので、被告の業務活動を立証するものでなく、このような別人の業務活動をもって略称の著名性を認定するのは誤りである。さらに、審決は、著名の程度の判断に際して商品との関係を一切考慮していないが、食品業界で長年使用し、周知になっている本件商標が食品業界に実績のない人の名称の略称という理由で無効にされるのは、既存の市場実態を無視した誤った判断である。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一及び二の事実は認める。

二  同三は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。

1  被告は、本件出願当時世界的に屈指のホテル企業として著名であった訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーが日本においてホテル経営を行うために設立した合弁企業であり、同訴外会社は被告の発行済株式の四〇パーセントを保有するとともに被告から東京ヒルトン・インターナショナルの経営の委託を受け右ホテルの経営に当たっており、被告と極めて緊密な関係を有する。被告は、経営戦略上の理由からたまたま法形式として別法人となっているにすぎず、実質的には訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーと一体のものとして同社の営業の一部門と同視し得るものである。

したがって、被告こそが本件出願当時から「ヒルトン」ないし「HILTON」という著名な略称を有する訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニー(及び右略称をその名称の中に含む同社の系列各会社)の人格権の保護を図る上で我が国において最も密接な関係を有するものであるということができ、本件無効審判を請求するについて最もふさわしい適格を有する者である。

2  被告が本件出願時存在していなくとも、その当時既に「ヒルトン」ないし「HILTON」が訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニー及びその系列諸会社の著名な略称であったと認められる以上、ヒルトンの略称を著名なものと認めた審決の判断に誤りはない。

また、商標法第四条第一項第八号に規定する「著名な略称」を有する他人は、一人であることを要しない。なぜならば、条文の文言上そのような制限は存在しないし、また、その立法趣旨が人格権の保護にある以上、「著名な略称」を有する他人が複数いる場合、そのいずれの者の人格権も保護されるべきだからである。したがって、「ヒルトン」ないし「HILTON」からヒルトン・インターナショナル・カンパニー及びヒルトン・ホテルズ・コーポレーションのいずれをも想起するということは「ヒルトン」ないし「HILTON」を他人の著名な略称として保護することの妨げとなるものではない。そして、「ヒルトン」を「系列(ホテル)諸会社の略称と認識する」との審決の認定は、具体的な事実関係の下で常識的な判断を行えばこれに属する会社の範囲を特定できるから、他人を明確にすることなく抽象的に認定したものではない。

さらに、審判手続において被告が提出した書証は、「ヒルトン」ないし「HILTON」という著名な略称を有する他人の業務活動を立証するものであって、右書証に基づいてした審決の認定、判断に誤りはない。

第四証拠関係《省略》

理由

一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)及び二(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

1  商標法第四六条の規定に基づき商標登録を無効にすることについての審判を請求するためには、請求人に右審判請求をするについての法律上正当な利益が存することを必要とするものと解すべきところ、原告は、本件審判請求人である被告は本件無効審判請求をする適格を有しない旨主張するので、まずこの点について検討する。

《証拠省略》によれば、被告は、昭和五六年八月一日設立された株式会社であるが、訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニー(HILTON INTERNATIONAL COMPANY)が被告の株式の四〇パーセントを保有し、同訴外会社の実質的支配の下にその系列企業として「東京ヒルトン・インターナショナル」の名称を使用してホテル経営を行っていることが認められるから、被告は訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーが有している人格権に基づく法律上の利益を享受できる地位にあるということができ、したがって同訴外会社が世界的なホテル企業であり、本件出願時「ヒルトン」ないし「HILTON」と略称され著名となっていることを理由に、本件商標の登録は商標法第四条第一項第八号の規定により無効であるとの審判を請求する法律上正当な利益を有するというべきである。

原告は、被告は本件出願後に設立され本件商標の設定登録後にホテル営業を開始したものであって、このように出願後に設立された会社が設定登録後に開業し使用を開始した営業標識を根拠に他人の名称の著名な略称であることを理由として無効審判を請求する利益を有しない旨主張する。

しかしながら、審判請求人たる被告が訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーの有している人格権に基づく法律上の利益を享受できる地位にある以上、本件出願時に既に著名となっていた同訴外会社の名称の略称の保護を理由として現に有効に存続している本件商標の無効審判を請求することができるというべきであって、原告主張の事実は被告の本件商標の無効審判請求の利益を肯定する妨げとなるものではない。

したがって、被告は、本件商標の無効審判を請求する法律上の利益を有するから、審決にその適格を欠く者に対してなされた違法は存しない。

2  次に、原告は、「ヒルトン」が商標法第四条第一項第八号に規定する「他人の名称の著名な略称」に該当するとした審決の認定、判断は誤りである旨主張するので、この点について検討する。

《証拠省略》によれば、訴外ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションは世界最大のホテルチェーンを経営する企業であり、訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーはその海外部門のホテルを経営する企業であって一九六四年TWAに売却されてその子会社になったものであるが、いずれも商号中に「ヒルトン」ないし「HILTON」の名称を含む多数の系列企業を有し、本件出願時「ヒルトン」ないし「HILTON」の略称をもって世界的に知られており、我が国においても、訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーが東急ホテルチェーンから運営委託を受け、系列企業の訴外日本ヒルトン株式会社(被告とは別会社で後に解散し現存しない。)により「東京ヒルトンホテル」を開業しており、「ヒルトン」ないし「HILTON」の略称で広く知られていたことが認められる。

右認定事実によれば、本件出願時訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーは、数多くのホテルを世界各地に展開している世界的ホテル企業であり、同訴外会社の商号中の「ヒルトン」ないし「HILTON」はその系列諸会社を含む略称として本件出願時既に著名なものであったということができる。

原告は、本件出願時東京ヒルトンホテルを経営していたのは被告とは別会社の訴外日本ヒルトン株式会社であり、被告は存在していなかったのに、審決が「ヒルトンの名は、(中略)請求人を含む系列諸会社(我が国における東京ヒルトンホテルを含む)の略称として本件出願時には、既に著名なものであった」と判断したのは誤りである旨主張する。

被告が本件出願時(昭和四八年六月一九日)設立されていなかったことは前記1認定の事実から明らかであるから、審決が「請求人を含む系列諸会社(中略)の略称として本件出願時には、既に著名なものであった」としたのは適切でないが、本件出願時「ヒルトン」ないし「HILTON」の略称が訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーの略称として著名であり、同訴外会社が系列企業の一つである訴外日本ヒルトン株式会社により東京ヒルトンホテルを経営していたことは前述のとおりであるから、被告が本件出願時設立されていなかったことや東京ヒルトンホテルを経営していたのが被告とは別会社の訴外日本ヒルトン株式会社であったことは、「ヒルトン」ないし「HILTON」が本件出願時他人の名称の著名な略称であると認定することに何ら影響するものではない。

また、原告は、本件出願時、訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーと訴外ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションは異なる経営系列の会社になっており、両者間に主体の同一性がなく、また、「ヒルトン」という言葉は特定できない複数の人の名称として使用されているから、常に世人が訴外ヒルトン・インターナショナルと同社の系列諸会社の略称と特定して認識するとはいえず、「系列(ホテル)諸会社の略称」という審決の認定も他人を明確にすることなく抽象的に認定した点で誤りである旨主張する。

しかしながら、商標法第四条第一項第八号の規定は、著名な略称等人格権及びこれから派生する法律上の利益を保護することを趣旨とするものであり、他人の名称の略称として著名なものが複数あるときは、そのいずれも保護されるべきであって、「他人の名称の著名な略称」における「他人」が複数存在しているからといって、同号に規定する「著名な略称」に該当しないということはできない。また、訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーの系列諸会社との認定によって、客観的、具体的に右認定に含まれる会社の範囲を特定することができないものではないから、この認定が「他人」を特定していないということはできない。したがって、原告の右主張は理由がない。

また、原告は、審決において判断の対象となった証拠の大部分は、解散した別会社の業務状況を示すものであって、このような証拠で略称の著名性を認定するのは誤りである旨主張するが、前記審決の理由の要点によれば、審決は、訴外ヒルトン・インターナショナル・カンパニーが数多くのホテルを世界各地に展開している世界的ホテル企業として屈指の存在であり、商号中の「ヒルトン」の名は、同社や系列諸会社の略称として本件出願時著名なものと認定、判断しているのであって、解散した別会社の業務状況から「ヒルトン」の略称の著名性を認定したものでないから、原告の右主張は理由がない。

さらに、原告は、著名の程度の判断に際して商品との関係を一切考慮しないで、食品業界において長年使用し周知になっている本件商標を無効にする審決は、既存の市場実態を無視した誤った判断である旨主張するが、商標法第四条第一項第八号の規定は人格権及びこれから派生する法律上の利益を保護することを趣旨とするものであって、出所混同を防止することを趣旨とするものでなく、また、本件各証拠を検討しても「ヒルトン」ないし「HILTON」が他人の名称の著名な略称であることを理由に本件商標の登録を無効とすることが人格権保護の限界を越えるものとは認められないから、原告の右主張は理由がない。

したがって、別紙のとおり「ヒルトン」の片仮名文字と「HILTON」の欧文字を二段横書きして成る本件商標は、商標法第四条第一項第八号に規定する「他人の名称の著名な略称を含む商標」に該当するというべきであるから、同法第四六条第一項第一号の規定によりその登録を無効にすべきものとした審決の判断に誤りはない。

三  よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井俊彦 裁判官 竹田稔 岩田嘉彦)

〈以下省略〉

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